松前・福島・函館

2021年08月14日

渡島半島南部の森林をいくつか巡ってきました。檜山研究林とその周辺を除いてはあまり訪れたことがなく、道南ならではの歴史を含めて、いろいろと発見がありました。

【松前町池の岱】

池の岱は、松前町の市街地から東へ1.5km 、約500年前に開かれ、砦、鷹狩地として使われた由緒のある場所です。安永2年(1773)年にスギ、マツの植栽記録があり、その材は、嘉永3年(1850年)以降、松前城の築城に用いられたのだそうです。お城が現存しないのは残念。

及部川に沿って3kmほど北上。最後の集落を過ぎ川をわたって200mほど、左に林道を入ります。標識等がなく、わかりにくいです。 

ほどなく看板がありました。「北海道百年記念美林」と書かれています。

このスギ人工林は昭和3年(1928年)植栽とのこと。当初の植栽密度は4500本/ヘクタールとかなりの密植です。間伐を繰り返した履歴が入口に記されていました。平均直径は50cmほどでしょうか。樹高も30mに達し、蓄積は1000m3/ヘクタールを超えています。

踏み跡程度ですが歩道があり、10分ほど行くと、ひときわ大きいスギが現れました。

この2本は、安政年間(1854-1860年)に植栽されたものと言われています。函館山のスギとともに、北海道ではもっとも古い、150年生を超える植栽木として知られています。直径は97cm、136cm、樹高は34m、37mとの記載。

周囲も100年生に近い高齢林ですが、この2本は風格が異なっていました。

下層にはミズナラ、イタヤカエデ。

ミツバウツギ、タニウツギ。道北ではあまり見られない種が多く出現します。

オオバクロモジ、キブシ。

サンショウ。北海道で初めて見ました。

ヤマウルシ。安政年間の植栽では、スギとアカマツ(後述)のほか、ウルシ、ミツマタの記録があるそうです。双方とも?現存するらしいのですが、見落としたのは残念でした。

若いスギ林。ここはもう4代目、ということになるわけでしょうか。

次に、くるまで少し移動し、ヒバの人工林。こちらは大正2年(1913年)植栽、108年生です。成長が遅いとされるヒバにしては、直径・樹高ともよい林に見えました。

ヒバ林の周辺では、スギが幅20mほどの帯状で伐採されていました。切株の年輪を数えると100年強。ちょうど1913年の植栽の直前にあたります。

伐採跡地、植えて数年と見られるヒバの苗木。大径木、天然更新した下層木、そして植栽木の3世代。

最後に、看板の地図だけを頼りに、わずかな踏み跡をたどっていくと、山頂部にアカマツが現れました。

アカマツの自然分布も青森県までとされており、上述のように、スギと同様安政年間の植栽と考えられています。面積はそれほど広くありませんでしたが、教科書通りに(マツの適地の)山頂部に生き残っていることに、感慨がわきます。 

ミヤマガマズミ、オオカメノキ。

マルバマンサク、アオダモ。

くるまで20分ほど、松前町の市街地へ。もう1箇所訪れたく、港町らしい細い坂道をたどり目的地に到着。「博多学術自然保護地区」の小さな看板。

北海道にはめずらしい、モウソウチクの竹林です。上の看板によれば、先ほどのスギやアカマツと同じ安政年間に佐渡から移植されたとのこと。「樽に入れて」とあるので、実生を土ごと持ってきたのでしょうか。あまり大きくはありませんが、見事に根付いていました。


【福島町千軒】

続いて、福島町と知内町の境界付近へ。「千軒」の地名は大千軒岳(標高1072m)の存在で登山者には知られています。17世紀に砂金の採掘が行われた記録があり、往時の繁栄が地名として伝えられた、という説と、山岳信仰の一つである浅間信仰に由来するという説があるそうです。

地名の由来はさておき、ここに「殿様街道」という、江戸から明治にかけて松前藩に活用された山道があり、歩道が整備されています。よいブナ林が見られるようなので、ここを歩いてみることにしました。

入口。立派な看板がありますが、「熊注意」の立札がある入口は、何となく心ぼそさを感じました。。。

が、森林に入ると道はしっかりとしていました。二次林と人工林の中を登っていきます。

人工林はスギ、トドマツ、カラマツ。50年生くらいでしょうか。

大径木を含む混交林になっていました。

30分ほどの登りで尾根につきました。手前が国有林(旧御料林)奥が道有林。

道有林側は急斜面の天然林。尾根を乗り越して下っていきます。ブナは斜面でも直立することがよくわかります。

「千軒ブナの森100年観察林」の看板。13本の観察木のモニタリングが行われているそうです。

全体には平均直径30-40cmの二次林ですが、ときおり大径木が現れて見事です。

トチノキ。本数はかなり多く、やはり大径木がありました。 

ミズナラ。意外に多く混交していました。

ウダイカンバとダケカンバ。カンバ類の出現はごく限られていて、見かけたのはほんの数本程度。

亜高木層にはカエデが優占。ハウチワカエデ。

林床は比較的明るく、実生もそこそこ見られました。ただ、豊作年から時間が経過したためか、ブナは意外と少ない印象でした。部分的に、チシマザサとハイイヌガヤ、エゾユズリハが優占。

だいぶ下ったところに人工構造物が。1988年に廃止された、旧国鉄松前線の線路跡です。廃線マニアはこういうところにも来るのでしょうか。。。歩道がわかりにくいのですが、鉄橋を二つわたり、封鎖されたトンネルの入口から急斜面を沢に下ります。

私としては、この先が、歩道のハイライトでした。

サワグルミの林。斜面下部から沢にかけて、直径50-70cmの木が多く見られました。サワグルミの分布は、北海道では道南・渡島半島の先端部に限られ、ブナよりも狭いエリアだそうです。このようなすばらしい林にはじめて来ることができました。

この樹種特有の、通直な幹に惹かれます。 

沢筋はほぼサワグルミの純林になっていました。林冠木の樹高や直径はそろっていて、同時に更新したことが伺えます。樹齢は70-80年でしょうか?(サワグルミは林冠種としては短い100年強の最大寿命)。こうした純林状の林相は、大規模な洪水や土石流跡地にできることが知られています。サワグルミの幼木は少なく、より耐陰性の高いトチノキが多く見られました。再度の大きな攪乱がないと、サワグルミの新規の定着は難しいようです。斜面上の林床は一面のリョウメンシダ。

若い果穂が見られました。

しばらく堪能。峠を超えてきた甲斐がありました。

兵舞川の支流を上流側へ。本流沿いにも一部サワグルミの林がありましたが、多くはスギ人工林になっていました。

10分ほどで「茶屋跡」の看板。「安政4年・茶代100文」と書いてあります。幕末期の貨幣価値を換算すると100-500円ほど? メニューはお茶とお団子でしょうか?気になります。笑 

起点に戻るためにはもう一度峠越えをしなければならず、ここからまた登りです。最初、踏み跡程度でわかりにくく、慎重に進みます。こちらの道は傾斜がやや緩く人工林が見られましたが、時折、広葉樹の大径木も。 直径1m超えのブナ。ご神木として残されたもの、との説明。

約30分で峠上の茶屋跡。往時はどのような景観だったのでしょうか。ここからの下りもおもに人工林の中。行きに登った径より幅広く、こちらが本道と感じられました。行きの途中、箱館戦争時の松前藩「砲台跡」の看板がありましたが、こちらの道を狙っていたのかもしれません。

2.5時間ほどで戻りました。集落から、大千軒岳の登山道に至る未舗装の林道を2kmほど西に走ると、道沿いにも立派な渓畔林を見ることができました(国有林・碁盤坂サワグルミ希少個体群保護林)。

下山後、30分ほどくるまを走らせ、知内町の市街地近く、知内公園へ。ここに鎌倉時代(1262年)に雷公神社に植栽されたと伝えられる「姥杉」があります。道南各地の神社では古くからスギの植樹が行われているようで、車窓からもいくつか集落のお社に巨木が見られました。神域にはスギ、という文化があったことが伺えます。このスギは、授乳と安産の神として古来信仰され、毎年1月に「十七夜講祭」が行われている、と説明文にありました。天保年間以降続く、女性だけの祭りなのだそうです。

【函館市日和山町・ブナ保護林】

帰りがけに短く、2箇所を訪問。函館の市街地から東に20km以上、道道函館恵山線に沿って位置する道有林の保護林へ。

道からよく見える位置に看板があり、わかりやすい 場所でした。

入口から入るとすぐに大径木が見られました。

ハリギリとイタヤカエデ。林冠はほとんどブナに占められ、他の樹種は少なかった印象です。

また、下層は、一部小径木も見られたものの、全体には、左の写真のようにすっきりした林相でした。

林床はクマイザサとハイイヌガヤ。後者は、シカが忌避することが知られており(ただし被食される事例もあるそう)、他の植物種はシカの影響で衰退したのかもしれません。ブナの稚樹はごく限られていました。林内の樹木にはナンバーテープが付されて、いろいろと調査が行われているようでした。


【七飯町・ガルトネルブナ林】

函館の北、七飯町。市街地のすぐ近く、国道のすぐ脇の立地に、ずっと以前から名を聞いていた林がありました。訪れることができて感無量です。 

ここは、他に例が少ないブナの高齢人工林です。周辺の山引苗を用いた植栽は明治2-3年(1869-70年)なので実に151-152年生ということになります。林名の由来は、貿易商で、この地で西洋式の農園の開発・技術普及を進めたドイツ人、R.ガルトネル。

成長はとてもよく、直径80cm以上、樹高35m近い個体が見られます。ガルトネルは明治新政府と土地のもめ事の末、植栽の直後(明治4年)に函館を離れていますが、その後も引き継がれ、よく手入れがなされたと考えられます。看板によれば蓄積はヘクタール換算すると700m3近くに達するようで、ブナ人工林の可能性が感じられます。下層植生も発達していました。

1992年に地元の小学生が植栽した「2代目」の箇所。そろそろ除伐が必要に見えます。

森林は意外と狭く、住宅等に囲まれていました。東側はケヤキの人工林。ケヤキも北海道に自然分布していません(北限は下北半島)。こちらは1949年植栽なので、71年生ということになります。ときおり直径30cmを超える個体があるものの、多くは20cm未満に見えました。

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帰路は遠く感じます。名寄まで500kmの道のり。


以下は、途中での写真。

ブナ、クリ。次に道南に来る際には、クリの林を見たいです。

トチノキ。

 カツラ、オヒョウ、サワシバ。

シナノキ、オオバボダイジュ。

イタヤカエデ、ヤマモミジ。

シウリザクラ、ホオノキ。

ミズキ、ヤマグワ、マユミ。

クサギ、ノリウツギ。