対馬の森をめぐる

2022年04月23日

「魏志倭人伝」に「土地山険・多深林」と描写された対馬。長い歴史の中で、古来から信仰の対象となってきた山々には原生的な森林が残されています。以前からずっと憧れていたこの島を、今回はじめて訪れることができました。

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北海道からはなかなか遠い立地。3日間の予定を考えた結果、おもに3つの山を巡ることにしました。前日夜に出発し、長崎空港経由で対馬に到着。初日の行動は昼からとなります。幸い、雲が去ってまずまずの天気。


白嶽

下対馬の北側、旧美津島町にある標高518mの白嶽(しらたけ)。麓の集落の名を冠して洲藻白嶽とも呼ばれます。山頂付近には国の天然記念物に指定されている森林があります。

集落から細い舗装道路をたどって、標高50mの登山口。くるまは他に2台ほど。島内の山では人気の登山コースのようです。真新しい看板がありました。右手に滝を眺めながら歩き始めます。

しばらくは緩傾斜。スギ人工林の中を行きます。

スギの下層に広葉樹の新緑が鮮やかでした。

その多くはカエデ類。オオモミジ、イタヤカエデ。

イヌシデも多く見られました。

ときおりヤマザクラも。

ケヤキの大径木。道しるべのように佇んでいました。

大きなギャップ内にはヒメコマツ(ゴヨウマツ)も。対馬が分布の西限で、朝鮮半島には分布しないのだそう。

下層の常緑広葉樹。こちらも鮮やかです。イヌガシ。

ヒサカキ。

林床に目立ったのはヒトリシズカ。

次第に登山道が急になると、各所に巨岩があらわれました。

そこは天然林域。直径50cm以上の木も目立ちます。

優占種はスダジイ。

アカガシ。

ウラジロガシ。

タブノキ、ホソバタブ、ヤブニッケイ。

カゴノキ。

クマノミズキ。

鳥居があらわれました。標高は300m。ここから上は特別な神域になるようです。ただ、ここではいったん鳥居をくぐらず、南にむかう登山道をしばらくたどってみることにしました。

中腹をまいていく道沿いは、おもにヒノキの人工林になっていました。

スダジイ。かつての人間の利用をうかがわせる樹形。右は炭窯の跡。木炭生産は、かつてこの島の主要な産業のひとつだったとのこと。

コナラ。炭の原料として、クヌギ、クリと並んで使われた存在です。

コハウチワカエデ。

ヤマグワ。

カクレミノ、ユズリハ。

やがて、尾根上、大径木が多い箇所に到達しました。

モミが優占する林分。直径70cm程の木も見られる見事な林相です。

下層にはヤマボウシ。

クロモジ。

クロガネモチ、クロバイ。

リョウブ。

イヌガヤ。

モミの若木はあまり目立ちませんでした。全体にシカの食害も強いと見受けられました。

山頂に向かう鳥居に戻り、そこからは山頂にむかって、標高差200m分の急登。祠が各所に祀られています。お供えのお酒の名は「白嶽」。

神域の雰囲気が強まるとともに、道がいよいよ険しくなりました。この山は石英斑岩 からなり、上部では露出した岩をロープを頼りに直登していきます。

頭上が明るい、と見上げると、コバノミツバツツジ。花期にまにあって嬉しいです。 

登りきったところ。ここからさらにもう一段上に向かいます。岩場を慎重に。

この岩場の上部に、張り付くようにチョウセンヤマツツジがありました。花が大きく見事です。 ここは大陸系植物種が見られることで植生地理学上重要な場所なのですが、その代表がこの種。3年前の秋に訪れたこの花の名所、済州島・漢拏山でももうすぐ見ごろかもしれません。

ヤブツバキ。山頂付近がいちばん彩り豊かな季節でした。

奥の尖った岩の上が山頂です。

霧が流れていて海は見えませんでしたが、岩稜の展望が得られました。満足。

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事前の調べ不足で、やはり大陸系とされるイワシデを見つけられなかったのはとても残念。

往路をゆっくり戻り、17時に下山。正味7時間の散策を満喫しました。厳原に戻り、投宿。


上対馬あちこち 1

翌日は早起き。浅茅湾の北側、上対馬(上県郡)を1日で回ります。

朝6:30、豊玉町の和多都美(わたづみ)神社へ。山幸彦、海幸彦の神話の舞台とされる延喜式内社です。

本殿から参道を振り返ったところ。鳥居が連なっています。

本殿から3つ目の鳥居から先は海。海神を祀るにふさわしいつくりです。 

こちらは三柱の鳥居。満潮時はここも水につかるそうです。本殿に対して横を向いています。

境内のマキ。

くるまで、よく整備された山道を10分ほど登って、烏帽子岳の展望台。少し霧が立っていましたが、浅茅湾を眺めることができました。

スダジイ、ウラジロガシ。

コナラ、アベマキ。

ケヤキ。

アカメガシワ、カラスザンショウ

ヤブツバキ。

ネズミモチ、ユズリハ。


御岳

ふたつめの山は、島の北部・旧上県町にある標高490mの御岳(みたけ)。昨日訪れた白嶽と並んで、古くから知られた信仰の山です。

豊玉町からさらに1時間ほど走って、御岳の登山口へ。標高は100m。ここは誰もいませんでした。

この山には、かつて大型のキツツキ「キタタキ」が生育していたことで知られています(現在は朝鮮半島でも希少種)。オジロワシも生育するとのことで、御岳鳥類繁殖地の名で天然記念物に指定されています 。

尾根に取り付き、ヒノキ人工林の中を急登していきます。

ここにも炭竃の跡がありました。

アカシデ 、ナナカマド 

イタヤカエデ、ツタウルシ。

エノキ、ケヤキ。

ウラジロガシ。

ホソバタブ、イヌガヤ。

ヤブツバキ、ヒサカキ。

次第に発達した天然林内に入っていきます。 

山腹に鎮座 する嶋大國魂(しまおおくにたま)神社。延喜式の論社です。ここまで40分ほどの急登でした。

神社の裏からは神域の気配が強くなり、大径木が目立ちはじめました。

ツシマヤマネコの看板。この山域は希少個体群保護林に指定され、モニタリングで実際の生息も確認されているそうです。森林棲の野ネズミ類が主要な餌資源で、生息域はこのような山上から低地の農地・水田まで幅広いとのこと。

林内。岩が露出した箇所が多くなります。アカガシ 、スダジイ。

カナクギノキ。

カゴノキ、ホソバタブ。

雄岳の山頂に到着。磐座があり、古来からの山岳信仰の場であったことが伺えます。

展望がありました。南側の山並み。

南西にある平岳。そこに至る尾根上には、このあとの目的地であるモミの大径木が目立つ森林が広がっています。北にある雌岳には道がないので、引き返してそちらに向かいました。

コバノミツバツツジ。昨日に引き続き、山頂で開花に出会えました。

緩やかな尾根上を行きます。 木が大きいので遠望は効きません。

そしてモミの優占する林分。直径60cmに達する木が散在していて見事です。ここがモミの分布の西限となります(朝鮮半島南部にはチョウセンシラベ)。

広葉樹が混交した混交林です。

アカガシ、スダジイ、タブノキ。

ヤブツバキ。

アベマキ、コハウチワカエデ。

アカシデ 、イヌシデ。

林床はシカの食害で乏しい状況でした。そのため稚樹は多くありません。とくにひどい箇所。

倒木も目立ちました。2019年9月の台風の影響が大きかったとのこと。今後が少々心配です。

ギャップ内にはイヌガシが多く更新。シカの忌避植物です。

次第に二次林に近い林相になっていきました。休憩後、もとの道を引き返しました。魏志倭人伝の記述「道路如禽鹿径 」を思い起こします。

帰りもモミの大径木を堪能。3時間弱で、登山口に戻りました。

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上対馬あちこち 2

下山して、北に流れる佐護川 に沿って里へ。河口付近に鎮座する天神多久頭魂(てんじんたくずだま)神社。対馬特有の信仰である神仏混淆の天道信仰(母子神信仰、太陽信仰、山岳信仰などが習合)の社で、社殿がなく奥の山(天道山)を遙拝する形を残しています。陽ざしがまぶしいです。

棹崎公園。日本再北西端の碑。韓国釜山市までの直線距離はわずか49.5㎞とのことですが、この日は眺めることができませんでした。海の美しさに満足。

ヤブツバキの群落が続いていました。

オオバヤシャブシ、トベラ。

ハマセンダン、イヌビワ。

公園内にある、対馬野生生物保護センターへ。お昼寝中のツシマヤマネコと対面。愛らしい。

佐護の集落で。対馬固有の在来馬である対州馬 。発掘品などから、古墳時代にはすでに飼育されていたと考えられるそうです。 

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鰐浦のヒトツバタゴ

島の北岸を走ります。3つの山と並んで、ぜひ訪れたかったのがここになります。

鰐浦集落の入口。国道から一歩入ると、道が狭いです。神社の脇に天然記念物の看板がありました。

鰐浦は、かつて朝鮮通信使が訪日する際の玄関口だったそうです。湾奥は実に風情のある港の景観。

この集落の裏山全域にヒトツバタゴが群生しています。この時期がちょうど開花期。満開で心躍ります。

歩道への入口がわかりにくかったのですが、広場に集まっている地元の方(お花見?)に聞いて、急坂を登り始めました。

ヒトツバタゴ。木は大きくはなく、最大のもので直径20cm、樹高15mといったところ。大陸に広く分布するものの日本では希少種で、対馬と木曽川流域のみという変わった分布をしています。この鰐浦には3000本ほどが生育するそうで、最大の自生地となっています。

山腹を埋め尽くしています。花が美しいので、街路樹としてはよく使われています。

地域での名として「ウミテラシ」とも呼ばれるそうです。白い花が海を照らす、というちょっと詩的な呼び名です。 「タゴ」は同じモクセイ科の「タモ」と同義なのかもしれません。一つ葉(複葉ではない)のタモ。材が硬いことを示す「ナタオラシ」とも。

鰐浦の集落を俯瞰。眺めに飽きませんでした。

アカシデ、アベマキ。

歩道は「韓国展望所」につながっており、そちらまで歩いてみました。観光客の姿もありました。

満開の枝にヤマガラの姿。

ヒトツバタゴの分布は、対馬の中でも限られているようで、くるまで走っていても他で気がつくことは少なかったです。鰐浦の隣、大浦では山腹にわずかに。

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上対馬あちこち 3

その大浦地区からほど近い、結石山(ゆいしやま)森林公園。来る途中、入口の大きな看板が見えたので戻って立ち寄ってみました。かつて、この山の狼煙には防人が配置され、また、文禄・慶長の役の際にも山城として使われたのだそうです。いまは静かで、軍船が大挙渡韓した歴史は思いもよらない海の眺めです。

アズキナシが満開。アベマキ。

この山の名は万葉集に登場することを知りました。天平年間に大伴旅人が、藤原房前へ日本琴を贈ったときの書状と2首の和歌です。これは、たいへん詩的な内容で、立ち寄ってよかったとしみじみ思いました。「梧桐」は一般にアオギリ(アオギリ科)を指すそうですが、アオギリは「孫枝 」を出さない、つまり萌芽性が小さいようで、和琴の素材であるキリ(ゴマノハグサ科)と考えるのが妥当とされているそうです。島内、キリはちょうど花の時期。この山からくるまを少し走らせた箇所でも満開の木に出会えました。

* 以下は「万葉集入門」のサイトの和訳を使わせていただきました。

https://manyou.plabot.michikusa.jp/index.html

「梧桐の大和琴一面 対馬の結石山の孫枝で作りし物 」  

この琴が夢の中に少女の姿になって現れて言いました。「わたしは根を沖遠い島の高き山に生やし、幹を太陽の心地よい光に晒してきました。長く雲や霞をまとい、山川の中に心遊ばせ、遠く風や波を見ては、役に立つとも立たぬともなく生きてきました。ただ、百年の後に枯れて空しく谷間に朽ち果てるのだろうかと不安には思っていましたが、偶然にもよき細工師に逢い、削られて小琴となりました。質の悪くよい音も出ないわが身を顧みもせず、常に立派な方の愛用の琴となりたいと願っています。」と。そして少女は次のように歌を詠いました。 

如何(いか)にあらむ日の時にかも声知らむ人の膝(ひざ)の上(へ)わが枕(まくら)かむ
巻五(八一〇)
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いつの日にか私の声色を理解してくれる人の膝の上をわたしは枕にするのでしょうか。


私は次のように答えて詠いました 

言問(ことと)はぬ樹(き)にはありともうるはしき君が手馴(たな)れの琴にしあるべし
巻五(八一一)
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言葉を話さない樹ではあってもあなたは優れた方が愛用なさる琴のはずです。 

琴の少女は「謹んでお言葉を承け賜わります。うれしいことです。」と言った 。ほんのわずかの時間で私は目を覚まし、すぐに夢の中の少女の言葉に感動して黙っていることが出来ませんでしたので、公務の使いに託して戯れに献上いたします。

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上対馬最大の港町、比田勝を経由して今度は東海岸を南下。

舟志(しゅうし)の集落にて。切り出した石を積んだ石垣と、切妻の小屋はどの集落にも見られるようです。

ここから先、山中の道沿いには人工林が続いていました。皆伐の跡地もところどころ。対馬の森林率は89%に達し、民有林が多い(森林の68%)ことが特徴ですが、人工林率は34%とそれほど高くはありません。耕地がきわめて少ないために、かつては焼畑(木庭作)も多かったそうで、現在でも農業より生産額が高いのだそうです(一次産業としては漁業が飛びぬけているわけですが)。明治-昭和30年代までは木炭生産が盛んでした。民俗学者の宮本常一は戦後、離島振興のために対馬をたびたび訪れ、その中でスギの植林を推奨したという話が出てきます。人工林化は主に戦後に始まったのでしょう。現在は搬出間伐-主伐期に入っており、生産はわずかずつ持ち直しの傾向が見られるそうです。

小さな港に木材が集積されている様子も見えました。韓国への輸出があるそうで(2014年には8千立方)、これがひとつの鍵なのかもしれません。

島の代表的な特産品であるしいたけ。歴史はそれほど古くはなく、1960年代から盛んになったとのこと。シイ、カシ、クヌギなどが原木に用いられます。林内で育てる写真のような箇所はあまり見られず、多くは散水施設を備えた人工ほだ場で生産されているようです。生産量は最盛期の1/10程度とのことですが、品質は高くブランド力は健在のようです。

道沿い各所で見かけた、ミツバチの巣箱である蜂洞(はちどう)。対馬にはセイヨウミツバチが分布せず、ニホンミツバチを誘引するのだそう。蜂蜜は対馬の特産品として、江戸時代には将軍にまで献上されたそうです。

琴(きん)の集落にある大イチョウ。「大陸から日本に伝わった初のイチョウ」と伝承されています。台風で主幹が折れてしまったようですが、かつては樹高40mに達していたとのこと。

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ふたたび西海岸に戻り、今日の最後は、峰町木坂の海神(わたずみ)神社へ。漢字は異なりますが、朝訪れたのと同名です。ここも延喜式内社に比される古社で、対馬国一之宮。八幡信仰の源流ともいわれています。鳥居の周囲はクロマツの大木。

参道。急ですがたいへん立派な石段を登ります。周囲は天然記念物に指定されている社叢。大径木に囲まれています。

スギ、ケヤキ。

本殿。手前の木はオガタマノキ。

参道のほか、林内の遊歩道もついていました。帰りはそちらから。スダジイ、ウラジロガシ。

神社のある山、神霊を斎き祀る伊豆山を振り返りました。樹冠の大きさがよくわかります。

神社から200mほど行くと、海岸。石積みの小屋が並んでいました。海藻を蓄えるための「藻小屋」というのだそうです。

そして石積みの「ヤクマ塔」。無病息災、大漁を祈る祭りの際に、毎年積み上げられそうです。

日が傾き、今日はここまで。


竜良山

3日目は、下対馬の南部にそびえる標高558mの竜良(たてら)山。この山も天道信仰の対象として全山が神域とされてきたため、とくに北麓には広い原生林があることで知られています。 

長期にわたる森林動態の調査も行われていて、学生の頃から論文ではなじみ深い存在の山でもありました。

朝7時、登山口に到着。広い駐車場から山を眺めます。

林道を15分ほど歩くと看板が立った登山口。標高は150m。

ここはもう原生林。直径70cmを超える木があちこちに見られて圧倒されます。樹高も30m近いと見えます。この標高域から広く原生林が広がる箇所は、他にないように思われます。 

優占種はイスノキ。私にはなじみが少ない樹種ですが、樹皮の特徴で見分けは容易です。耐陰性が強く、閉鎖林冠下で前生稚樹をつくるそうです。

果実がついていました。豊作だったようで樹冠下にはいっぱい。

そしてアブラムシによる虫えい。これも見分けのポイント。タンニンを含むので染料として使われたのだそう。

そして、スダジイ。イスノキとともに林冠層を構成しています。

直径1mを超える木もありました。なかなか見事。

ウラジロガシも、上記2種に次ぐ優占種。

倒木と林冠ギャップ。この森では、かつて1980年代後半に大きな台風の影響でギャップ面積が高い時期があったことが報告されています。歩道沿いに見た限りでは、閉鎖した箇所が多い印象でした。

原生林の中に立つ鳥居。山頂の方向を遥拝。 

シカの食害が影響しているようで、林床には忌避植物のアリドオシが目立ちました。入口付近にはシカの防護柵(研究用?)。

クスノキ科の種は食害されにくいのか、林床で圧倒的に優占していました。なかでもイヌガシ。新緑の色合いが多彩。

ヤブニッケイ、シロダモ。

バリバリノキ。

ホソバタブ、タブノキ。

カゴノキ(ここまでクスノキ科)。

サカキ、モッコク。

オガタマノキ。山でははじめて視認しました。

アオキ。 

クロキ。

ヒサカキ。

ヤブツバキ。

イヌマキ。

カラスザンショウ。  林冠ギャップに侵入する典型的な先駆種ですが、枯れた個体も目立ちました。

カクレミノ。この樹種も分布の北西限になるのだそうです。

林内、大径木が次々とあらわれて息つく暇がありませんでした。

と、標高300m付近で、登山道はヒノキ人工林に入りました。普通は標高が高くなると天然林が現れるので順序が逆です。神域につらなる原生林は山頂まで続いているのですが、歩道はいったん西の鞍部にむかうためそこから外れるようです。

アワブキ、アオハダ。

ヤマザクラ、イヌシデ。

標高380mの鞍部に到着。

ここからは尾根に沿って東へ急登。ふたたび天然林となります。

優占種はアカガシ。下部ではあまり多くありませんでしたが、ここでは大径木が多く生育していました。

ヤブツバキ。

カヤ。

ネズミモチ。

コハウチワカエデ。

ヤマボウシ。

リョウブ、ヤマウルシ。

山頂。この山にも磐座がありました。ここまで3時間強。ゆっくり歩きました。

3日間、毎日山頂ではツツジに出会いました。これはゲンカイツツジ。

マルバアオダモも満開。

南側は雲が湧いていました。内院島と内院浦。

西側の木斛(もっこく)山。こちらとは対照的に人工林に覆われていることがわかります。

そして北側には、いま歩いてきた原生林。照葉樹林の多様さを目の当たりにして息を飲みました。登ってきてよかったです。

もちろん原生林だけが見えるわけではありません。途中通過した人工林との明瞭な境界。

そして原生林の対岸も視野に入れると、人工林、皆伐地も。教科書に使える絵だな、と思いました。

こちらが全景。しばし展望を眺めて過ごしました。

ここからはゆっくり下山。途中、ウラジロガシの大径木の下でゆっくり昼食。この山でも結局、誰にも出会うことがありませんでした。

スダジイ。板根を発達させた木と、萌芽枝が多数発生した木。

こちらもスダジイ。枝ぶりがみごと。   

下部で癒合したイスノキを見つけました。「連理木」と呼べるかも。 

林道に戻りました。林道沿いには二次林が広がっていました。林冠層の多くはスダジイ。萌芽性の高さが寄与しているようです。

時刻は13時半。朝から6時間あまり、とても密度の濃い時間を過ごすことができました。

山を振り返りました。自然公園センターの展示はなかなか詳しく、勉強になりました。 

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下対馬あちこち

竜良山の北麓を西に流れる瀬川の「鮎戻し自然公園」。花崗岩の一枚岩。

島の南端の集落、豆酘(つづ)へ。対馬の中でも、古い習俗や方言が残った地として知られています。集落の奥にある多久頭魂(たくずだま)神社。前日に訪れた佐護の天神多久頭魂神社とは対の存在。

ここも延喜式内社。天道信仰の社で、竜良山(天道山)の遥拝所となっていたとのこと。

ここの境内の森林も見事でした。スダジイ、アカガシ。

豆酘から、西海岸に沿って山道を北上します。美女塚。

ノグルミ。

久根田舎(くねいなか)にある安徳天皇陵墓参考地。宮内庁が指定する天皇陵は下関にあるほか、西日本の5カ所が参考地になっているのだそうです。平家伝説の広がりを物語っていますが、ここの立地もなかなか僻遠です。一説によれば、対馬宗氏の始祖になったと伝えられているそうです。周囲はとてもきれいに整備されていました。

山道を1時間ほど走り、椎根集落に到着。「石屋根」。かつては全島にあったそうで、穀物などの倉庫として用いられたのだそうです。重たい板石を支える柱は、50×20cmもあるシイノキの一枚板。床、天井材はマツとの記述。

元寇の古戦場として知られる小茂田浜。

厳原への帰途、最後に、上見坂展望台。初日に登った白嶽や、浅茅湾が見えました。山と海の景色で締めくくりです。

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翌日は、3日間よかった天候が急変。搭乗予定の飛行機が風で欠航し、急遽フェリー(所要4.5時間)で博多へ。飛行機を乗り継いで、何とか日が変わる前に北海道まで帰り着きました。

また行きたいです。。。