北山杉を探訪

2022年12月28日

北山林業は、室町時代応永年間(1394ー1427)に遡る、日本を代表するスギ林業のひとつです。茶の湯文化とともに発達し、江戸期以降、茶室や数寄屋建築の用材を提供してきました。

「北山」は京都市北西部の北区中川を中心とした地域を指しますが、「北山杉」の生産は昭和期以降、北に位置する京北町(現京都市右京区)などにも広がっています。もとの地域からの産出材を「地山丸太」、広い地域からのものを「丹波物」と呼ぶそうです。

北山杉の特徴は、材質の緻密さと、木肌の滑らかさ、光沢・色艶にあります。

中川北山町の中川八幡宮 にある樹齢600年とされる大杉 。北山杉は、この大杉から枝を採って挿し木で苗を作り植林されてきたとのこと。まっすぐで木肌が白い特徴が、受け継がれてきたと言います。

育林・生産技術は、「一本杉」と「台杉」のふたつに大きく 分類されます。

一本杉

一斉林として仕立てられ、おもに床柱で使う丸太を生産します。

優れた品種の親木から穂採りした挿し穂を2ー3年間苗畑で育て、山に春植え(5,000-6,000本程度の密植 )します。その後、7ー10年生時点で最初の枝打ちが行われ、おおむね4年おきに繰り返されます。他には例を見ない丹念な枝打ちが、まっすぐでしなやか、かつ無節で真円な丸太を造り出します。必要に応じて除間伐も行いますが伐採率は低めに抑え、基本は密に仕立てていきます。労働投下量は、一般の施業の3-4倍に達するとも言われます。

台杉

日本海側の「裏スギ」に特徴的な萌芽性を利用して一本の株から数ー数十本の枝を育成する 方法で、おもに化粧垂木の用材を生産します。 

下にある「株」は樹齢数百年のものも少なくないそうです。そこから萌芽した「取り木」の密度を管理して、限られた枝(立ち木)を育てることを繰り返す、独特な育成方法です。大正期まではこの方法が北山杉の主流であったものの、株の老朽化などもあり、現在は少なくなっているとのこと。

製品

5-6種類に分かれています。

まず「磨丸太」は、北山杉の基本となる製品です。材の評価としては、通直で木口が真円(芯が中心)、末落ちが小さい(元末の直径差 <1.5cm)ことが重視されます。「面皮柱」は、磨丸太を四角く製材し、面の部分には丸太の皮を残した柱です。

「天然出絞丸太」は、コブ状、波状の凹凸(絞り)を持つ高級材です。「ちりめん絞丸太 」はさらに希少で、溝のような絞りを持ちます。これらは遺伝的な要因が強いと考えられ、近年は挿し木で安定的な生産に取り組んでいるそうです。一方、「人造絞丸太」は、伐採の2-3年前にプラスチック製の箸状の添え木を幹に巻き付けて絞り模様をつける方法です。それなりに生産量があるとのことですが、今回、添え木のある立木を見ることはできませんでした。 

製品丸太の径は60ー180mmほどで、長さ3000mm・径120mmの材の場合の価格は、磨丸太で2.5ー3万円/本、人造絞丸太はその倍、天然出絞丸太だとさらにその倍、ちりめん絞丸太ではさらに数倍といった水準になるようです(素材価格が気になりますが、情報得られませんでした)。

「垂木」は台杉から生産される小径木で、化粧垂木などに使われます。製品径は30ー50mmとごく小径ですが、1820mm長の材で1万円/本は下らないとのこと。

以上の伝統的な用途のほか、現在は、木肌木目の美しさを利用して、インテリア素材としての活用を広げているそうです。 

枝締・本仕込み・伐採 

伐期は、20ー40年生程度とされます(森林計画における標準伐期齢は15年)。伐採の季節は、材の色むらが生じにくい晩秋から初冬が適しているそうです。伐採後、2週間から1か月ほど林内で葉枯らし乾燥させます。

伝統的な方法である「枝締め」を行なう場合は行程が異なります。枝締めでは、伐採の前年の冬に樹冠の先端部だけを残して枝を切り払います。水分の吸い上げを押さえて肥大成長を抑制することが、丸太の光沢を強め、乾燥時の割れを防ぐ効果があると言われています。

前年に枝締めされた立木は8月中頃から下旬に伐採されます。このとき、伐採した木を一本の親木を中心に組んで立たせたままにして、その状態で皮を剥き、天日で1週間ほど乾燥させます。「本仕込み」と呼ばれるこの作業も、光沢と割れ防止に寄与するそうです。

材の搬出には架線、モノレール、ヘリコプターなどが用いられるそうです。


化粧・乾燥

現在は、多くの場合、水圧バーカーで皮剥きされます。割れを防ぐために背割れを施し、楔を打ち込む(矢入れ)と同時に、取り切れなかった皮を取り除く小剥きが行われます。

そして、磨き砂と呼ばれる粒子の細かい砂を使って丁寧に磨かれます。この砂で磨くことによって、北山杉の滑らかで美しい光沢が生まれます。

菩提の滝。30分ほど歩いて訪れてみました。丸太を磨くための粒子の細かい砂をこの滝で採取したことで知られています。かつて は女性の手で磨かれていましたが、現在は水圧やたわし状のものが用いられるそうです。

天日で表面を乾燥させ、白い肌の色が出たらさらに室内で1-3週間置き、人工乾燥を経て出荷に至ります。

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中川北山町と周辺

この北山杉を、年末の一日巡ってみました。京都市内からくるまで30分ほど。北山杉の中心地である中川北山町。

市役所の出張所で地図をもらって、山間いの街を歩き始めました。 

まずは集落の中心に鎮座する中川八幡宮へ。上述のとおり、ここには樹齢600年とされる北山杉の母樹の大杉がありました。

集落の家並み。平地はほとんどありません。

有名な木造倉庫。昭和初期の建築だそうです。ここで丸太の生産・乾燥・保存が行われたとのこと。もう現役ではないそうですが、乾燥スペースには磨き丸太が並べられていました。

小さな集落ですが、北山杉を扱う商店の看板がいくつもありました。北山杉を取り扱うのは、周辺を含め現在60軒ほどだそう。

丸太を乾燥しているところ。6mの長材。

高台を登りきったお寺のそばに「大台杉」と呼ばれる、樹齢400年と推定されるこの地域で最古・最大の台杉がありました。

周辺の台杉も見事でした。根本付近だけみるとスギとは判別できません。

台杉は庭先・垣根など、集落のいたるところに見られました。

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くるまで10分ほど、中川川登町の「北山杉の里総合センター」へ。 

工場に隣接した新しい施設に見学スペースがあり、係りの方にいろいろ教えていただきました。 

丸太が並んでいました。ここで市も行われるのだそう。

いろいろと情報をいただき、次は、杉坂集落の入り口にある台杉の「畑」へ。どんな場所か、あまり想像がつかなかったのですが。。。

地元の林業会社が、山中に残る樹齢200-400年の台杉を掘り起こしてヘリコプターで運び出し、ここで「畑」として手入れし、おもに庭木用として育てているのだそうです。見ごたえがありました。 現在は、垂木生産はごく少ないとのこと。

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旧京北町

峠を越えて、旧京北町にも足を延ばしました。桂川の支流である細野川の上流部、芦見谷へ。

案内図で「北山杉の美林」の文字を見て向かったところ、芦見谷芸術の森という施設がある箇所でした。「一本杉」の仕立て。 

比較的若齢の林には、シカの食害のためか林道沿いに防護ネット。

複層林のように管理されているように見える?箇所もありました。

途中、作業道があり、奥で間伐が行われていました。直径20cmほどの丸太。

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谷を出て、京北細野町の集落にある長野大神宮社。境内は新年の準備をしている様子。 本殿の前には、胸高直径30cm、樹高20mに達するサカキの大木が対になって2本。樹齢は相当高いと思われますが、、、どのくらいなのでしょうか。 

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旧京北町の中心、周山を経て、桂川の上流域へ。車窓から伐採地があちこちに。製材工場も散見されました。 

北山杉は、規模の小さい経営体が多いと言われます。集約的な管理が必要なので大規模化との相性はよくないのでしょう。この地域にスギ人工林が広まったのは明治中期以降だそうです。とくに戦後、床の間付きの一般住宅の建設が急増したことがその動きを加速しました。しかし、1980年代後半以降は需要が落ち込み、その後は現在に至る長い衰退期にあるとも言えそうです。実際、きめ細かな間伐や枝打ちを実行できず、多くの林分が普通の用材林へ移行している現状もあると聞きました。

この地域で名勝として、もっとも著名な常照皇寺。皇室にゆかりのある禅寺。この季節、誰にも出会いませんでした。

サクラの名木。開山の頃、御所から株分けされたと伝えられる樹齢650年の九重桜。一重と八重が一枝に咲く御車返しの桜。

参道のまわりの境内には、スギ・ヒノキの大径木。

モミが混交していました。境内図によると、寺域の北西はモミ・ツガの天然林になっているようです。別方向に見えた山の山頂部もそのような雰囲気。

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さらに上流域の黒田集落。こちらも先ほどと同様、八重の中に一重が交じって咲く「百年桜」。 樹齢は300年と言われます。 

桂川の上流。狭い平地に滋味深い集落が続きます。

旧家の庭には、欠かさず台杉。 

周山から約20km、花脊まで到達。標高350mくらいからはすっかり積雪。

源流域には台杉の巨木の森があるとのことですが、こちらはまたの機会に。京都市内へ至る芹生峠の道は真冬の景観でした。