能登・アテ林業の可能性

2022年08月05日

ヒノキアスナロは、ヒノキ科アスナロ属(Thujopsis)に属する、アスナロの変種です。北海道の渡島半島南部から栃木県日光付近、および日本海側の佐渡から能登半島、という少し変わった自然分布をしています。青森では「ヒバ」と呼ばれて有名ですが、能登ではアテ(档)という地方名を持ち、独特の林業が形成されています。

その地理範囲は、能登半島の北部(奥能登・中能登)にほぼ限られます。この特徴ある林業の地を、石川県林業試験場の小谷さんに1日案内していただきました。前の日お付き合いいただいていた富山県・TOGA森の大学校の長谷川さんと江尻さんも一緒です。小谷さんは、長谷川さんと同様、学生のころからいろいろ教えていただいたこの分野の大先輩です。

富山県利賀を8時半に出発し、2時間強で能越道の終点「のと里山空港」IC。


輪島市三井町 石川県健康の森

まずは程近い、石川県健康の森へ。1966年に開始され、小谷さんも長く関わっておられた石川県林業試験場の「アテ試験林」。看板に記された凡例の数の多さからわかるように、さまざまな施工が試されてきました。

アテの特徴としては、初期成長が遅いものの、耐陰性・耐雪性・耐病虫害性が強いことが挙げられます。排水が良好であれば適地は広く、スギより乾燥に耐えるとのこと。

葉裏の白い気孔帯が目立ちます。鱗片葉がやや小さく、球果に角状の突起がないのがアスナロとの大きな違い。

 今回、材はあまり見ることができませんでしたが、昼食をとった健康の森の建物にはふんだんに使われていました。 

 材には、抗菌物質であるヒノキチオールが多く含まれ(タイワンヒノキで最初に発見され、実は日本のヒノキにはそれほど多くありません)、シロアリ耐性、耐腐朽性が強く住宅の土台に最適とされます。

木材流通の段階では樹種名は(アテではなく)「能登ヒバ」だそうです。材価は、基準となる土台材(材長3m、材径14-18cm:芯持ちで利用)でスギの1.5倍ほどとのこと。造作用(材長4m、末口22cm上)は、輪島塗の木地としての需要があるそうです。

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アテにはいくつかの品種系統があります。代表的なのはマアテ、クサアテ、エソアテ(スズアテ)で、それぞれ地域によって多寡があるそうです。教えてもらうと、見た目、だいぶ違います。

マアテ。樹皮はヒノキに似ています。ねじれが強く幹の断面が不正円になるのが特徴。輪島塗の産地に多く分布し、漆器にも使用。

クサアテ。樹皮は灰褐色でスギに似た印象です。耐湿性にやや劣るものの通直完満なので、土台よりも柱材に使用。

エソアテ。白い斑(チョークタケ?)がとくに顕著。ねじれが少ない。弾力性に富むのでかつては和船の帆柱に使用。

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挿し木の発根性が強いことも特徴で、造林はその性質を利用します。

まずは択伐。おもにマアテで行われます。林床に見られる稚樹は、いわゆる伏状更新をさせたもの。具体的には、上木が10年生程度の段階で、その下枝を地面に押し付けて固定し、設地部分から発根したものを新たな稚樹に仕立てるという方法です。

上木を10年程度の周期で択伐し、下層木の成長を促します。択伐は、いわゆるなすび伐り(大きいものから伐る)がもちいられたそうです。そして下層木が育って樹形が整ったら、また同様に下枝を押し付けて次の稚樹を育てることを繰り返し、世代交代を繰り返すというわけです。

伝統的にはこのような方法が、部分的な植栽を組み合わせながら用いられてきたと言います。目標径級は20-30cmで、上木を200本/ha程度に保つのが理想とされたそうです。

施業の中では、枝が自然に落ちず「死節」をつくりやすいため、枝打ちも重要となります。そして搬出にあたっては下層木をいためないように、馬や人力(コロカツギ)が用いられたそうです。

と、このように、とても集約的で手間がかかる方法ではありますが、樹種の特性を十分に活かした、たいへん理に適った施業方法と感じました。

健康の森入口にあった択伐林型を持つ民有林。最近ではこのようにきちんと維持される林分はめずらしいそうです。

この試験地では近々、ピンクテープを巻いた木を伐採するのとのこと。

ただし伐採はすでに遅れてしまっています。そのことは、上木と下層木の樹齢差は10年程度のはずなのに、これだけのサイズの差がついてしまっていることからも伺えます。

アテは耐陰性が高いとはいえ、稚樹が生育するためには相対照度20%以上が求められます。実際、この状況で、すでに枯死してしまった下層木も見られました。

無間伐の林分は林床に何もない状況。

育林上問題となるのは、とくにクサアテで顕著な漏脂病。菌(Cistella)の感染により傷害樹脂道(ヤニツボ)が形成され、幹が陥没するなど材質を低下させます。

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次に、隣接する人工林へ。約20年生の箇所。小谷さんが一部植えたそうなので、記念撮影しました(笑)。

樹形の風格がすばらしいです。が、見てのとおり初期成長は遅く、この時点で10mに達しません。成長の速さが重視され、早生樹の導入が検討される昨今、なかなか流行らないという現状のようです。 

人工林の場合、伐期は50-60年(1200本/ha)、大径材を目指すと70-80年(800本程度)とのこと。現在、石川県において人工林に占める比率は面積・蓄積とも10%ほどだそうです。

苗木は採穂からの育苗または空中取木で行われます。後者は、春に枝先50cm程の箇所を環状剝皮してミズゴケさらにビニール袋で覆い、発根した後に切り離して苗を得る方法です。早ければ1年目の秋に山出しできるのだそう。写真はそれを試行したと思われる跡。

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能登町上町

次に新植地を見せていただきました。現在、アテの年間の造林面積はおそらく200haくらいとのこと。 くるまで30分ほど東へ走り、柳田植物公園の裏の民有地。

ヒノキ人工林の皆伐跡地だそうです。 立地は、能登の丘陵地に広く分布する赤色度。粘土質で排水性が不良なので、あまりよい条件とは言えないとのこと。 

ここに、4年生の稚樹。20cm/年以上 、よく伸びています。これだけの成長があれば、と思います。

ところが一方で、上に伸びていない個体も目立ちました。立地の影響ではなく、おそらく苗の性質によるとのこと。育苗の技術の難しさを感じるところです。

植栽密度は2000本/ほど。今年の下刈りはまだのようで、アカメガシワ、カラスザンショウ、ワラビが繁茂… 下刈り期間はまだ4-5年は必要そうです。かなりの急傾斜で作業はたいへんそう。谷の下には比較的若い人工林。

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珠洲市若山町白滝

次に、富山湾側と日本海側の分水嶺を走り、30分ほど。宝立山(標高469m)の北西側の斜面。広域農道から対岸の眺め。

ここにアテの天然林があります。近づくことはできませんでしたが、樹高15m、直径30cm程の個体が生育しているそうです。

この周辺には、他にも数カ所自生地が知られているとのこと。 能登のアテの由来については在来説と、東北地方からの移入説がありますが、この(植栽起源とは考えにくい)林分の存在は前者の有力な根拠となります。在来説は、この天然林のアテが東北地方より佐渡の個体群と近い遺伝的関係にあること、縄文遺跡からアテ材が出土していることからも裏付けられるそうです。小谷さんの見解は「アテはもともと能登に生育していた。ただし、アテ林業の成立は東北地方からの影響も大きかった」というもの。なるほど。

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輪島市門前町浦上

方向を転じて、半島を一路西へ約1時間。ウルシの栽培も盛んだという地区の、集落から少し入った道沿い。

いしかわの森林50選「浦上マアテの森」の看板。ここは樹齢200年を超えるマアテの人工林です。

ここでは、アテの実力を見せつけられました。短期的には見合わないかもしれないものの、長伐期ならこの可能性!

1本、周囲長を測ってみると178cm(直径約57cm)。樹高は35mほどでした。

それがこの密度で生育しています。おそらく蓄積は2000m3に近いのではないかと思われます。

マアテの特徴が出て、ねじれはかなりのもの。欠点かもしれませんが…見事とも言えます。

上部の枝張りもすばらしい。

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道の反対側は50年生ほどの人工林で、樹下植栽がなされていました。通常、400ー1000本ほどの密度で植えるそうです。

林縁のものは成長していましたが、林内ではあまり成長はよくありませんでした。ここも間伐が遅れ気味のようです。

高齢人工林の下にも一部樹下植栽がありました。

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最後に、その近くの民家にある「元祖アテ」へ。こちらは、能登アテの起源の渡来説に関する謂れがあり(諸説あるものの)天正年間(1573~1592)にこの旧家・泉家の当主が東北地方から苗木5本を持参したという伝承があるそうです。

直径は1m以上。樹齢は、上の伝承から450年以上と見積もられています。

この木の品種もマアテ。先ほどの200年生の人工林との関係が深い、と考えて自然です。興味深いのは、マアテとクサアテはほとんど結実性がないということ。他地から渡来した可能性が伺われます(一方、エソアテ・スズアテは結実する)。

小谷さんから、加賀藩の「七木の制」についても伺いました。江戸初期-後期に何回か禁伐木を定めた中に、アテは入っていないのだそうです。そして、一方で、アテの人工植栽は約300年前から始まったという伝承もあるそうです。

アテ林業の発展には、輪島塗の歴史が重なります。その輪島塗、ごく初期は、むしろヒノキを多く使っていた形跡があるとのこと。ヒノキの資源が限られてくる中(ヒノキは七木)、北前船による交易が盛んな時代、その代替としてアテ林業が移入され発達したのでは、というのが小谷さんの見方です。もちろん、アテの素材としての優秀さが、江戸期に見直された側面もあったでしょう。マアテに関して言えば、ねじれる特性を持ちながらこの品種が普及したのは、材に光沢があり漆の乗りがよいことにあるようです。

輪島塗におけるアテの用途は膳・重箱・盆など。他の樹種ではケヤキが椀・盃に用いられるそうです。ウルシ採集の話も、小谷さんからいろいろ伺うことができました。

浦上の集落。スギ人工林が多いものの、一部アテの山も見受けられました。 

充実した1日の見学はここまで。いろいろ回っていただき、小谷さんには本当に有難うございました。

アテの歴史はいろいろ深く、とても興味深いです。成長の遅さは短所なものの、それを補いうる個性・特長(腐朽にしにくい、抗菌作用、輪島塗の素材)も見られました。小谷さんもおっしゃていましたが、本来、皆伐-一斉造林向きの樹種ではないのかもしれません。従来型・伝統的な択伐、複層林管理をいかに現代に適用するか、とても大きな課題です。

ヒノキアスナロは「道南ヒバ」として北海道にも分布しており、これからも注目していきたいと思います。