熊野川に沿って

2022年03月14日

熊野川流域。流域面積2,360km2のうち、平地の面積はわずか14km2。森林率が98%に達する日本屈指の森林流域です。古くからの信仰や、森林利用の歴史・文化を持つこともあわせて、森林のことを考えるうえで本当に特別な地域です。

この中から、ほんの数カ所に過ぎませんが、2日半、天然林を中心に森林を巡ってきました。年間降水量が3000mmを超える多雨地域。毎日よい天気だったのは幸いでした。


白見山(新宮市高田)

河口から直線距離だとわずか15kmほど。小さな支流、田長谷に沿った道を上ります。険しい山で、すでに奥山の雰囲気が漂います。途中、滝(鼻白滝)の展望台がありました。

白見山(標高926m)の登山口。「森林自然公園」の看板があります。ここですでに標高は650m。

登山道の近辺は伐採を免れたようで、直径80cmを超える大径木が多く見られます。針葉樹と常緑広葉樹が多い混交林が続きます。

スギ、ヒノキ。本数は多く見かけませんでしたが、時折、大径木がありました。

モミ。この森の優占種です。

もう一つの優占種、ツガ。看板には「近年は少なくなった」との記述。

トガサワラ。今回、とくに見たかった樹種のひとつ。ここ紀伊半島と、四国にのみ分布しています(詳しくは、下記でまた)。看板の記述によると、推定樹齢は400年とのこと。

トガサワラの葉と幹。

常緑広葉樹が豊富です。アカガシ、アラカシ。

シラカシ、ウラジロガシ。

イチイガシ、ウバメガシ。

スダジイ、ツブラジイ。

タブノキ、バリバリノキ、シロダモ。

イスノキ、ヤマビワ。

シキミ、サカキ、ヒサカキ。

ヤブツバキ。

ユズリハ、モチノキ。

シャクナゲ、アセビ。

ヤマザクラ、ヒメシャラ。落葉樹は展葉していないものが多く、だいぶ見落としているかもしれません。

落葉。コブシ、アカメガシワ。

時おり大きな林冠ギャップがありましたが、小規模な疎開が多い印象でした。

歩道はずっとよく整備されていました。白見山の頂上には向かわず、森林公園の歩道の別ルートで戻りました。

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新宮市内へ。熊野速玉大社。手前の大木はオガタマノキ。神社によく植栽されています。

境内には、銘木として有名なナギの木も。

神倉神社の参道。ここも大径木がたくさん。新宮市街(熊野川河口)を遠望。

阿須賀神社。蓬莱山と呼ばれる裏の社叢には、ホルトノキ。


玉置山(十津川村)

続いて、海岸から直線距離で30kmほど、熊野川本流と支流の北山川の間に位置する玉置山へ(標高1077m)。山頂近くまで車道が通っています。

大峰山地の最南端に位置する玉置山は、吉野と熊野を結ぶ「大峰奥駈道」の靡(なびき:行場)のひとつが置かれた修験の山として知られています。山頂には玉置神社があり、朝から参拝客の姿が見られました。

ここは、スギの大径木が多いことで知られています。

466 467 468 直径1m級のスギが立ち並び、壮観です。信仰の山ならではの雰囲気。

大杉。三重県で最大だそう。周囲長8.7m(直径2.7m)、樹高40mとのこと。

名のついたスギ。神代杉、夫婦杉。

植栽されたスギもあるようですが、、、若齢の箇所でなければ、天然木との区別はほとんど判然としません。大径木の樹齢はどの程度なのか、気になります。

サカキ。磐座

モミ、ヒノキ。

ブナがありました。大峰山地では、標高1000m、つまりこの神社付近の標高域からブナ帯に変わることが知られています。今回訪れた中ではここが最高標高なので、唯一の出会いでした。

トチノキ、ミズナラ。

アブラチャン、アカシデ。

512 大峰山地の北側を遠望。遠く、熊野川流域の最奥、八経ヶ岳、釈迦ケ岳(>1800m)方面。もう少し後の季節に来たら、ダケカンバの南限を見に行ってみたいです。

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玉置山の北側へ下山。十津川村の「21世紀の森」へ。シャクナゲが有名なのだそう。

「空中の村」。フランス起源のアスレチック施設で、2020年に開園したそう。なかなか本格的です。

その後、熊野市本宮町の熊野本宮大社。


大又国有林(熊野市池ノ宿)

熊野川流域としては東端にあたる、大又国有林へ。海岸からの直線距離は15kmほどですが、河口からたどると大支流・北山川からさらに支流の備後川を経て、流路でいえばおそらく150km以上遡った上流域になります。ここには、国有林の保護林があり、以前からぜひ訪れたい箇所でした。

熊野市の飛鳥森林事務所。事前に得ていた入林許可により、林道ゲートの鍵をお借りしました。

集落の脇から、大又林道に入っていきます。ゲートがあり一般通行はできません。道の状況を心配していたのですが、幹線林道(かつてはトロッコ道だったようです)として、思ったよりはよく整備されていました。途中のトンネルを抜けて、目的地がある備後川流域に入りました。

林道を慎重に走ること1時間。標高550m。 林道沿いに保護林の看板がありました。日本で最大級のトガサワラ群落について記述されています。

保護林にはここから徒歩で向かいます。新しい作業道の途中から、沢に沿って登り始めました。斜面にとりつき、人工林に沿って。きちんとした道はなく、標識テープを頼りに進んでいきます。事前に教えていただなかったら、なかなか登り口がわからなかったかもしれません。

尾根に登りつきました。アカマツ。

モミ、ヒノキ。

人工林の中、尾根を登っていきます。間伐が行われていました。変わった受口。

人工林と天然林が交互にあらわれます。シラカシ、アラカシ。

スダジイ、ツブラジイ。

タブノキ。

シキミ、サカキ、ヒイラギ。

ヤマザクラ、コブシ、ヒメシャラ。

ミズメ。落葉広葉樹の中ではとくに目立ちました。クマシデ。

やがて、道は尾根から外れ、沢をまいていきます。踏み跡ははっきりしていますが、迷いそうなので慎重に。

歩き始めて1時間。標高800m付近。どうやら保護林の区域に入ったようで、明らかに木のサイズが変わりました。

モミの大径木。直径80cm近い個体もありました。

ツガ。

スギ。

そしてトガサワラが現れました。上の針葉樹と混交して、かなり密度高く生育していました。

トガサワラは、紀伊半島および高知県に分布するマツ科トガサワラ属(Pseudotsuga)の高木です。木材として北米から大量に輸入されているベイマツ(Douglas fir)の同属種ですが、日本では絶滅危惧種(VU)となっています。 和名はトガ(ツガ)に似ていて、材はサワラに似ているから、と説明されますが、葉はむしろモミに似ていると感じました。葉群や枝の間隔が広いので、遠くからでも見分けはつきました。

直径70cmほどの個体もありました。かつては1m級の木も多かったそうですが。。。

倒木。最も太かったトガサワラが最近倒れた、との情報もあったのですが、そこには行きあたりませんでした。

先折れ(と倒木)でできた林冠ギャップ。今回、稚樹はまったく見つけることができませんでした。基本的には陽樹なので、山腹崩壊など大規模な攪乱が更新に必要になるようです。

広葉樹も混交していました。直径50cm級のヒメシャラ。

名残惜しく、しばらく座って過ごしました。。。

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下りは大きな造林地を経由して。人工林内の切株。成長のよさに驚きます。

ヤブツバキ、ヒメシャラ。

ヒサカキ、アセビ、ユズリハ。

沢沿いにも道が続いていました。気持ちのよい沢でした。

約3時間で下山しました。登り口になっている箇所は、かつて「池の宿」という集落があり、戦後には国有林の事業所が立地していたのだそうです。それ以前にも木地師が住んでいたのだとか。。。造林地の成長が、集落がなくなってからの年月をあらわしていることになるのでしょう。

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帰り道、大又林道沿いの別の保護林に立ち寄ります。ここは文政6年(1827年)に植栽されたスギ人工林だそうです。195年生ということになります。

太いです!

林況調査の看板がありました。25年前の内容ですが、その当時で材積が2,397m3/ha! スギは平均胸高直径が72cm、平均樹高が34mとのことでした。見た目、さらに大きくなっているようで、現在の蓄積がどの程度になるのか、とても気になりました。

しかし、、、この山奥に、他に見ない200年前の人工林があるのは不思議に感じます。当時、流域一帯で植林が促された記録があるようです。他の里に近い箇所の林はずっと以前に伐採してしまった、ということなのでしょうか。。。

隣接してモミ・ツガの保護林もありました。

モミ、ツガのほか、カシ、落葉広葉樹も混交していました。

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里に戻りました。オニグルミ、アベマキ、キリ。


林業の景色

この地の林業生産には長い歴史があります。現在、流域内の人工林率は60%。数値的には驚く値ではありませんが、急峻な地形の多さを目の当たりにすると、よくそれだけ植えたものだ、との感慨がわきます。

くるまを走らせると、至るところで人工林の皆伐、間伐跡地に出会いました。

熊野市飛鳥町。とくにこの付近では、製材工場(小規模ながら)が次々に現れるのに驚きました。

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大きな支流のひとつ大塔川に沿った最奥の集落、本宮町静川。熊野川本流から10kmほど。宇江敏勝さんの著作『森のめぐみ・熊野の四季を生きる』に登場します。

静川の平地区、道が山に分け入って1kmほどに位置する高倉神社。小さな滝に接して、斜面に張り付くように祀られています。

道路の下には大塔川が流れています。下流側を見たところ。変哲のない風景に見えますが、実はここは「宮の瀬」と呼ばれ、山と川の接点だったのだそうです。

上流側。かつて、立木の運搬には川が使われていました。が、ここより上流では流量が少ないため、ここ宮ノ瀬は、かつて奥地に広がるトロッコ道の起点でした。そして、川には丸太を組み立てたセギ(堰)が設けられました。高さは2間(3.6m)に達し、水をためると上流100mにわたってダムができたと言います。トロッコ道を運ばれた丸太をそのダムの中で筏に組み、放水口を一気に開け放って鉄砲水で下流に押し流したのだそうです。

高倉神社にあったクロガネモチ。

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宇江敏勝さんの別の著書『熊野川』の第2章「青春を川に浮かべて」では、木材の流送が詳しく語られています。また、第1章「天然林を伐る」をあわせて読むと、天然林の利用の歴史が浮かび上がってきます。

木は、木材の用途から黒木(くろき:モミ・ツガなど針葉樹)、鉄木(かなぎ:ウバメガシや他のカシ類)、雑木(ぞうき:広葉樹)に分けられたそうです。最初に伐られたのは黒木(雑木の中で、ナラ、クリ、ケヤキの良木も含まれる)。本宮町静川では、天保年間(1830年代)すでに「伐採をやり過ぎて山中に良木がなくなった」(紀伊続風土記)と記録されているのだそうですが、戦前から昭和30年代まで活躍した伐り子は、3尺(90cm)の木は「ざら」で、5-6尺(>150cm)の黒木も多かったと語っています。手伐倒の時代、皆伐ではなく、小径木は残されたので、長い年月の中で天然林はある程度回復したのかもしれません。ただ、昭和期は、木炭の生産も盛んになっていったので、黒木の伐採の跡地には焼き子が入り、鉄木を対象に炭焼きが行われました。やがて、黒木・鉄木ともに良木が少なくなった頃には、林道が整備され始め、残った雑木を皆伐し人工林への転換が行われた、というのが大まかな流れです

どのような急斜面でも、大きな木さえあれば、人はその時々の技術を駆使してそれを収穫してきたことがわかります(ぜひ上記の2冊をお読みください)。

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トロッコ以前は、木馬(きんま:橇)も広く用いられていました。その遺構が歩道になっている箇所も訪れてみました。北山川の支流、奈良-和歌山の県境となる立合川(たっちゃご、と読むらしい)。深い谷です。

急斜面の中腹に道がつけられた道。谷までは標高差50m以上ありそうです。橇を使ったので、当然、登り勾配はなく、下り勾配もきつくなり過ぎないように谷と並走していました。ちなみに、この谷には滝が連続し、道は、沢登りで来る人のアクセス路になっているようです。

しっかり石積みがされた箇所。いつ頃つくられたのでしょうか?

こんな箇所も通過していきます。いまは単管パイプで補強されていますが、往時は丸太を組んだようです。『熊野川』に掲載されている写真では、高さ20m以上の垂直な崖の上部を、大径の丸太5-6本を積んだ橇が通過していく様子(危険。。。)が示されています。

十津川の「21世紀の森」に展示されていた写真。この写真では牛ですが、人が曳くこともあったのだそう。時代が進むと、こうした立地にトロッコ道がつくられたようですが、この個所は、伐採がそれ以前だったのか、あるいは、トロッコをつくるには及ばないと判断されたのか。

急峻な谷をはさんで対岸を望めた個所。すっかり静かな山中で、往時を想像してみます。

この歩道の脇で、思いがけず、開花したクマノザクラを見ることができました。早咲きとはいえ、他の箇所ではまだ概ね早く今回はあきらめていたのですが、とても幸運でした。

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熊野川(北山川)の風景。瀞峡。この峡谷も筏に組んだ木が流れて行ったわけです。筏師が帰りに使った道が、現在一部歩道になっています。

中流域。

熊野川河口の貯木場。新宮の街についても、宇江敏勝『熊野川』の第3章「木の花咲く町で」を読んできたので、たいへん味わい深かったです。

まだまだ奥深い、熊野川。また来たいと思います。