滋賀 田上山 歴史に記された森
奈良時代以降、頻繁に日本の林業・山林の歴史に登場する田上山(たなかみやま)。琵琶湖から流れ出る瀬田川の支流である大戸川の流域を中心に、標高600mの太神山を中心とした山系と、同605mの竜王山を中心とした金勝(こんぜ)山系の総称です。
まず、古代には万葉集に登場。
「(前略)石走る 近江の国の 衣手の 田上山の 真木さく 檜の つまでを もののふの 八十 宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ(後略)」。 大意は「近江、田上山の立派なヒノキの角材を宇治川に浮かべ流して…」
7世紀後半、藤原京の造営の際の歌なのだそうです。田上山をはじめ近江の国は都から比較的近く、宇治川から木津川を経る水運のルートがあったことから大木、とくにヒノキの供給地として「杣」(そま:伐採用の山林)が置かれ、その後も平城京や東大寺の造営、さらには平安時代になってからも良材の産地であったと知られています。
ただ、もちろんいつまでも資源が続くわけではありません。しかも田上山の地質は、風化しやすい花崗岩。
中世以降は、二次林として生育した雑木林が燃料(とくに燈火用のマツの根の採取)や薪炭の採取に使われ、江戸時代にはとくに荒廃が進み、下流域では洪水や土砂災害が頻発したと言います。淀川水系のこの地は「諸国山川掟」(1666年)などで伐採等が制限されたことも記録に残っています。
その結果が明治初期のこの看板の写真。「田上のはげ」と呼ばれて周辺でもとくに目立つ存在だったようです。
そんな田上山。今回歩くのは草津川の流域となる、一丈野(いちじょうや)と呼ばれる金勝山系の西端付近。
ここはいわゆる「湖南アルプス」登山コースの起点。花崗岩が露出する景観で人気が高いコースです。朝7時半に駐車場に着いてみると結構な車の数。が、川沿いに歩きだしてみると、主要な登山コースとは別の道だったのか、 とても静か。
そして歴史は近代へ。明治になって、この地は「近代治山発祥の地」としてふたたび林業史に登場します。
田上山の緑化は江戸時代からはじまっていましたが、明治期になると国の直轄事業として本格化します。胸像はいわゆるお雇い外国人の砂防技術者ヨハネス・デレーケ。彼の母国の名が残された「オランダ堰堤」。
石積みの美しい堰堤です。1889(明治22)年の完成なので、実に135年前の構造物。割石積堰堤としては日本最古と言われています。
こちらは名所となっている「逆さ観音」。岩に摩崖仏が彫られていますが、それがひっくり返って逆さになっています。一説には、オランダ堰堤建設の際に岩の一端が割り取られて転がったのだとか。
こちらは山腹工の様子。当初は藁伏工など土砂流失を防ぐ工法が中心でしたが、明治後期になると技術が発達し、荒廃した斜面からの土砂流出を防ぐために石積みを設け、裏には肥料と藁を包んだ山土を盛り、さらに芝を貼り付けたうえで植栽する階段工法(積苗工)が取り入れられたそうです。
この「砂防の森」。看板の立派さからわかるとおり、公園のように整備されています。
その中でもとくに歩きやすく設けられた「たまみずきの道」というコースをたどってみることに。
緑化のために植えられた樹種。代表格は「ハゲシバリ」とも呼ばれる、ヒメヤシャブシ。
この種が肥料木の役割を持つことの発見、それを播種して増殖する技術もここで開発されたのだそうです。
オオバヤシャブシ。
ハンノキ、カワラハンノキ。
エンジュ? 落葉してわからない外来?マメ科木本もいくつか。
クロマツ。
アカマツ。
マツも代表的な緑化樹種のひとつですが、ここに当初植えられたのはクロマツだったそうです。が、10-30年ほどでクロマツは衰退し、やがてアカマツに置き換わっていったことが報告されています。砂防→山腹工→植栽の順で進められた緑化事業。順調に進んだわけでは必ずしもなく、定着しなかった箇所には再度施工するなど長年にわたって工夫が進められたそうです。
施工開始から約60年で土砂流出はほぼ抑えられたとのこと。
スギ。あまり多くは見かけませんでした。
針葉樹はもう一種。ネズミサシ。
こちらはおそらく自生。樹高10mほどの大きい個体も。
歩道は山の中腹を行きます。このコースはバリアフリーで段差なく、勾配も少ない歩きやすい道です。
コナラ。
マツ+ヤシャブシの植栽後、50年ほどで目立つ存在になってきたのだそうです。どんぐりが落ちて、次第に分布が広がっていく様子をイメージしてみました。
クリ。
常緑広葉樹も見られました。次第に増えているようです。アラカシ。
ウラジロガシ。
タブノキ。
ところどころ山深い印象さえありました。
ヤマザクラ。
アカシデ。
シラキ。
アカメガシワ。
カラスザンショウ。
イロハモミジ、ウリハダカエデ。
クマノミズキ。
アオハダ。
タマミズキ。この歩道の名前になっているシンボル樹種。実は見られませんでした。
コシアブラ、タカノツメ。
途中、このコース唯一展望が開けたところ。
シキミ。
カナメモチ。
ヒサカキ、ヤブツバキ。
シャシャンボ、アセビ、ソヨゴ。
モチノキ、クロガネモチ。
イヌツゲ。
クロモジ。
マルバノキ。
ニガイチゴ。
ハゼノキ、ヌルデ。
ノリウツギ。
ウツギ、コアジサイ。
リョウブ。
コバノミツバツツジ、ヤマツツジ、ネジキ。
ムラサキシキブ。
コバノガマズミ、ヤマシグレ、オオカメノキ。
タニウツギ、ニシキウツギ。
サルトリイバラ。
ウラジロの林床。
途中からはすっかり青空になりました。
2時間ほどで駐車場に戻りました。
歩いていて、100余年前にはげ山であったことを忘れるような豊かさを感じました。そして、そこに費やされた無数の努力や工夫も。
このあとどのように変化していくのか、、、往時のような森に戻るには数百年が必要かもしれません。が、その片鱗は見えてきた、と言えるのかもしれません。
美し松
このあと、田上山からは少し離れますが、同じ山域の北東に位置する湖南市甲西町へ。
ここには歴史に「描かれた」森があります。旧東海道が通っていた江戸時代。街道を往来する人々にもよく知られ「東海道名所図会」や歌川広重「東海道五十三次」に登場するマツ林です。
道から眺められる斜面にありました。
国の天然記念物に指定されている「ウツクシマツ」の自生地です。
ウツクシマツの樹形。根元から幹が分かれる独特な樹形をもっています。確かに端正で美しい樹形。
アカマツの変種とされており、この樹形は遺伝的な影響で生じていることが明らかになっています。
ウツクシマツの分布はこの南東斜面1.9haほどだそう。樹齢は200-300年、小径木もあわせると約100株が生育しています。
ただ、マツ枯れでだいぶ本数が減ってしまっているとのこと。
また、シカの食害もあるようで、若木(植栽起源かも?)は網で覆われ、また柵で囲われたエリアもありました。
柵外で稚樹を発見。
こちらはとくに樹形が美しいとされるシンボルツリー。先代が枯死して新たに指定されたそう。マツ枯対策も含め、保全活動に力が入っている様子がうかがえました。
とても気持ちのよい林。この姿を保ってほしいものです。
イロハモミジ。
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森めぐりとは関係ないけれど、信楽に立ち寄りました。小鍋と一輪挿しを入手。
カキノキ。
一日青空。前後の日に歩いた湖北とは違う空の下にいるかのようでした。
どちらもすばらしく、両方訪れることができたことに満足しました。