天城 峠の上と下で
伊豆。半島で海に囲まれていますが、一方で「天城越」に描かれる山地のイメージもあります。実際、平地は少なく、森林率は80%ほど。温暖で年降水量が3000mmを超える湿潤な土地でもあります。古来「日本書紀」に、すでに森林に関するとても印象的な記述(→最後に)があり 、江戸期には幕府直轄の「御林(おはやし)」として森林が管理されてきた長い歴史をもっています。
そのような天城の山。峠を起点に、1日半の春の散策。
天城山
まずは峠の上。天城山の登山コースを歩いてみることに。
八丁池まで
休日だけ運行するバスで標高990mの八丁池口登山口へ。乗客は20名ほど。
薄く日が差し、歩きやすい日に恵まれました。
スギの人工林の中を行きます。
若い林も。
人工林を背景にマメザクラが満開。ちょうど花期にぴたりと合いました。
そしてブナとヒメシャラが優占する広葉樹林が広がっていました。
ブナの分布下限は暖かさの指数85ほどと言われており、ここ伊豆ではおおむね標高900m以上で出現するそうです。
ブナの大径木が点在しています。多くはまだ展葉前。
ヒメシャラ。太平洋側のブナ林を特徴づける明るい樹皮。独特な景観を見せています。
ブナ林の中を緩やかに登って、青スズ台と呼ばれる標高1237mのピークへ。「青スズ」はスズタケを指すようです。かつてはこの一帯、林床がスズタケに覆われていたそうですが、シカの影響で現在は跡形も見られない状況です。
ブナの落葉を踏んで歩きます。昨年の殻斗がいっぱいの個所も。ただ、ブナの稚樹・実生を見ることはほとんどありませんでした。
林床・下層には、代表的なシカの忌避植物、 アセビ。
シキミも同様。葉からつくられる抹香はかつて伊豆の名産だったそうです。
モチノキ。
多くのブナは高さ2-5mで大きく枝分かれする独特の樹形。江戸末期に薪炭利用がなされたことによる、切高からの萌芽「あがりこ」と見られます。
アブラチャン。
クロモジ。
萌芽で小幹が密生する独特の景観。
北側にこのあと歩く天城の主稜線が眺められました。とてもなだらかな山容。
オオイタヤメイゲツ。
ホオノキ。
ハリギリ。
ミズメ。
モミ。ときおり出現しましたがそれほど多くはなく、中間温帯の雰囲気は薄い印象でした。
ノリウツギ。
リョウブ、ミツバツツジ。
オオカメノキ。
ツルアジサイ。
いったん下った後、見晴らし台に登りました。
八丁池が見えました。窪地に水が溜まった断層湖。
超えてきた青スズ台 。遠くは霞んで富士山は見えませんでしたが、淡い緑と桜色を見わたすことができました。
戻って池の傍へ。標高は1180m。休憩。
この八丁池の別名は「青スズ池」。上述のとおりスズタケはまったく見られませんが、200年ほど前にササが枯れた記録が残っているのだそうです。
池の近くに展葉しているブナ。花がいっぱいについていました。
天城縦走路
ここから天城山の縦走路に入ります。引き続きブナ林の中。緩やかな起伏はあるもののほぼ平坦な道のり。
稜線上にも断続的に人工林。ヒノキ。
スギ。ときに縦走路と言うよりは、旧街道を行くおもむき。
引き続きブナは大きく広がる樹形。
このあたりのブナの樹齢は150-200年程度のものが多く、大規模な攪乱によって更新したと見積もられています。実際、この地域では江戸時代後期に「御用炭(ごようたん)」と呼ばれる幕府直轄の製炭が盛んに行われた記録があるそうです。
ブナは禁伐に指定されておらず、広く伐採されたと考えられています。炭焼用の材は直径4-15cmで、当時も小径木の枯渇が問題になったようです。それ以上の大きさの雑木は用材利用されたものの、ブナについてはある程度の伐採規制があったようで、比較的低密度ながら大径木が残り、そこからの実生更新と、伐採木からの萌芽更新によって現在の森が形づくられたと考えられます。上で触れたササ枯れも影響したかもしれません。
ただ、いずれにしても現在ブナは新しい更新がほとんど見られないことから、多くの太平洋側のブナ林と同様に、この先衰退していくとみられています。。
ヒメシャラ。樹齢は若干若く、ブナの成林後に比較的小さいギャップで更新したと考えられています。
マメザクラも同様なのでしょう。
カエデ類も耐陰性が高く、樹下で更新します。オオイタヤメイゲツ。
ハウチワカエデ、コミネカエデ。展葉している個体はまだわずか。
モミ。
ヤマグルマ。材に道管を持たない広葉樹として知られますが、仮道管であることが(水の通道機能と関係して)常緑広葉樹としては高標高まで分布する要因と言われています。
ヤマグルマの大径木はいずれも個性的な樹形。何か特別な利用があったのでしょうか。
アセビ。
ところどころ風倒が目立ちました。尾根筋、風の強さが窺えます。
戸塚峠に到着。標高は八丁池とほぼ変わらないので、4kmを1時間弱で歩きました。ここから縦走路は登り道となり、伊豆の最高峰である万三郎岳(1405m)に至りますが、今日の目的地は別の方向。
皮子平
急な斜面を北に10分ほど下ると、皮子(かわこ)平と呼ばれる平坦地。約3200年前に起きた大規模な噴火火口の跡。
下った箇所から望む主稜線。
噴出した岩塊が多く、コケの緑が鮮やかです。いまでも溶岩流の中に埋もれたかつての巨木「神代」 が見つかることがあるのだそうです。
尾根筋より風が弱いためか樹高があり、枝下も高い木が多い印象でした。すばらしい森です。
ここでもブナが優占種。
そして低木層の新緑が目立ちました。
ブナの幹の間を埋めるようにヒメシャラが育っています。
看板がありました。ここは皮子平ブナ・ヒメシャラ群落として保護林に指定されています。
まるで樹下植栽したかのよう。
30年ほど前の記述によれば、このあたりはササの下生えの中にヒメシャラの稚樹が「無数に」あったとのこと。。それが育ったのだと思われます。ヒメシャラもシカの嗜好性は低くないようですが、ササの摂食とのバランスで更新できたということなのでしょうか。森林の遷移を目の当たりにする感があります。
モミ。ところどころに密生。流域内にはモミ林もあるのだそうです。
サワグルミが優占する箇所も。
見事な立ち姿です!
オオイタヤメイゲツ。
展葉が進んだマメザクラ。
アセビの中の道。
人工林もありました。この皮子平、かなり人手も入っているようでしたが、天然林が残されたのは資源維持の目的もあったのでしょうか。また来たい、と思える場所でした。
天城峠へ下り道
戸塚峠に登り返して、来た道を戻りました。頂上方面に行けばシャクナゲが多かったようなので(花期ではないものの)少し心残り。
タイミングのせいか縦走路はすっかり人がまばら。八丁池から西へ下る道へ。
この道沿いもよい森が続きます。
ヒメシャラ、ひとつ気がついた点が。
稚樹がありました。わずかに展葉しています。
ときにすごい密度。茶色の林床がそこだけ淡い緑になっていました。かつて皮子平で「無数の」と記載されていたのはこの密度、だったのかもしれません。
このような箇所が、林冠の疎開に対応するようにパッチ状に見られました。育っていきそうな様子。 シカの食害を受けないのか、は謎。
イロハモミジ。
ウリハダカエデ。
イタヤカエデ。
チドリノキ。
キハダ。樹皮の食害が目立ちました。
ミズキ。
アワブキ。
エゴノキ。
ふたたび人工林。最近間伐が行われていました。標高900mを下回ると植生が大きく変わっていきました。
キブシ。
サンショウ。
メギ。
ミツマタ。
車道に出ました。
カツラ。
オニグルミ。
そして旧街道へ、
カヤ。
ウラジロガシ。
スダジイ。
ヤブツバキ、アオキ。
「伊豆の踊子」で知られる天城山トンネル。1905年開通。
急な下り道をたどって、新しいトンネルがある新道へ。
17時に到着。よく歩きました。
標高640mのバス停から。見上げる人工林の斜面にサクラを望みました。
天城街道・太郎杉
翌日は峠の下を歩きました。
道の駅から国道沿いに伸びる「踊り子歩道」。かつての天城街道です。
起点の標高は480m。目的地は550mなので、昨日と比べてぐっと低い標高域の散策になります。
スギの大径木が立ち並ぶ中を行きます。かつて伐採した跡地にスギを植えることが義務とされ「御礼杉」と呼ばれています。
山神社。山の神(大山祇命)を祀っています。
江戸時代、天城の御林を管理した幕府は「天城七木」と呼ばれる禁木制度 を設けました。七木は、マツ、スギ、ヒノキ、サワラ、ケヤキ、クス、カシ。後に、モミ、ツガが加わって「九木」になったそうです(上記のようにブナはここに入らない「雑木」でした)。
モミ。
そして「七木」に名があったように、この標高域では常緑広葉樹が優占していました。天城峠上のブナ林から一転、いきなり暖温帯に変わる対比が見事です。
アラカシ。
ウラジロガシ。
スダジイ。
イヌガシ。
ヤブニッケイ。スギ林の林床を占めていました。
タブノキ。
バリバリノキ。
カゴノキ。
アブラチャン。昨日と重なるクスノキ科はこれだけ。
街道を外れて、小渓流に沿った道に入っていきます。秋は紅葉の名所として賑わうようですが、この時期の早朝はとても静か。
落葉樹の新緑がまぶしいです。
ミズメ。
イヌシデ。
アカシデ。
イタヤカエデ。
チドリノキ。
カツラ。
ヤマザクラ。
マメザクラ。ここではすでに展葉。
ケヤキ。
オニグルミ。
ヤナギ。
ミズキ、クマノミズキ、ヤマボウシ。
ハリギリ。
川沿いを進みます。 奥までワサビ田がありました。ワサビ栽培は江戸時代から続くのだそう。
コウヤマキ。
カヤ。
ヤマモモ。
ヒメユズリハ。
サカキ。
ヒサカキ。
ヤブツバキ。
アオキ、ヒイラギ。
道沿いにはスギの人工林。
江戸期を通して御林の管理は保護が中心であったと言われます。明治に入ってから国有林では直営生産がはじまり、次第に造林地が広がっていったとのこと。
1時間ほどで、太郎杉に到着。天城山中一の巨木だそう。幹回り9.7m、樹高は53m!見事。
しばらく座ってすごしました。静かです。
ヒメシャラ。
フサザクラ。
ニガイチゴ。
ヤマグワ。
ヤシャブシ。
イイギリ。
ミツバウツギ、ゴンズイ。
サンショウ、ミツマタ。
ノリウツギ、ウツギ、マルバウツギ。
リョウブ、ドウダンツツジ、サラサドウダン。
ウメモドキ。
ガマズミ。
アケビ、ツルマサキ。
かつては林内を覆っていた、スズタケ。わずかに見かけました。
戻る道もゆっくりと。 有名な浄蓮の滝。
帰りがけ、湯ヶ島町松ヶ瀬にある軽野神社。石祠が祀られている社叢を遠望。
「日本書紀」に応神天皇の勅命で伊豆国に船を造らせたとする伝承があります。海に浮かべると軽く、走るように進むその巨船(長さ10丈=約30m)は「枯野」(かるの→軽野)と名付けられました。この地は、その際の造船所とも、または船材の集積地とも言われています。
今回も期待を上回る森の旅をたのしみました。